医師からのメッセージ

三澤名誉院長からのメッセージ

求む!総合力溢れる医師

名誉院長 三澤 弘道

 “信濃の国は十州に、境連なる国にして...”県歌『信濃の国』に謡われるごとく、四方を連なる山々に囲まれ、南の白樺高原、西の美ヶ原高原から源を発し、清々と流れる千曲川の支流である依田川、その流れに沿って広がる長閑な田園風景。ほぼ信州の中央部、旧中山道の宿場町、小県郡長和町に国保依田窪病院があります。夏は登山やハイキング、冬はスキーやスノーボードなど都会から多くの人々が、観光やレジャーを楽しむために当地を訪れています。

 当院は、昭和56年に旧長門町、旧武石村、旧和田村の三町村による100床の組合立病院として設立され、現在は長和町・上田市による組合立病院で、病床数140床、常勤医師16名、診療科15科の急性期型病院です。小規模病院のため、診療科の垣根を越えたアットホームな雰囲気の診療部です。全国に先がけて昭和40年代から保健センターがあり、町の保健福祉課(保健)や隣接する老人保健施設『いこい』など(福祉)と連携して、地域包括ケアーの中核として診療をしてきました。

 平成の大合併により、平成17年10月に旧長門町と旧和田村が合併し『長和町』が誕生しました。現在の人口は約7,000人、65歳以上のお年寄りの占める割合は全体の  34%で、今後も一層の高齢化が進むことは避けては通れない道であります。また旧武石村は平成18年3月に上田市に合併しました。
当院の理念は、『地域に密着した心あたたかな医療を実践します』、『地域における基幹病院として高度医療を提供します』であり、地域住民からの信頼や、大きな期待と地域医療の核としての誇り、そんな思いから掲げたものです。しかし、当院ですべての医療に対応することは不可能であり、高度医療機関、診療所、福祉施設、地方自治体との連携が重要と認識し、昨年前方後方連携可能な地域連携室を開設しました。急性期医療から在宅医療にわたる広範囲な医療を展開する当院では、診断や治療だけではなく、個々の患者さんに関連する多職種のチームのリーダーとしての医師を必要としています。

 患者さんや地域住民の皆様から信頼されるには、医療レベルの劣化を防がなくてはなりません。当院では高度医療の実践のために、心臓血管造影なども可能なデジタルアンギオシステム、MRI(1.5テスラ)、ヘリカルCT(64列128スライス)等各種医療機器や電子カルテ(令和4年更新)、放射線画像のデジタル化(平成16年)もすでに導入しております。各種学会発表や患者動向調査、臨床研究、地域の保健予防活動などに利用されています。聖路加病院の日野原先生の言われる「サイエンスのあるアート」が実現できる体制を整備しています。

 診療部は、大きな空間のワンスペースからなり、個々の医師にはインターネットを完備した個人ユニットが配置されています。当直室もトイレ、風呂を完備したビジネスホテルのような形態です。

 院内厚生施設のひとつとして、院内保育所『あすなろ』が、隣接する『いこいの丘公園』に平成18年3月からオープンしています。3歳児未満のお子さんをあずかっています。こうして小さなお子さんをお持ちの女性の先生に対する支援も行っています。

 そんな中で、依田窪病院では単に来院された患者さんを治療するだけの医師ではなく、地域医療に燃える総合力のある医師を求めています。地域の皆さんもそんな医師(せんせい)を待っています。組織自治体の首長や関係議員の方々からも、当院の医師を全面的にバックアップ(支援)していただいています。まず病院や地域を見ていただき、“働いてみたい”という気持ちになっていただきたいと思います。何年間でもかまいませんので。

石橋医師からのメッセージ

私の医療 今・昔
―往きの医療と還りの医療―

石橋 久夫

 私は大学卒業後、2年間自治医大の病院病理部で仕事をした後、本来の希望でもあった外科に移りました。当時の自治医大消化器一般外科は、外部から運び込まれる重症の患者が多く、癌医療と併行して腹部救急医療も花形?というより地獄のような惨状で、独身時代は殆ど大学内に泊まり込んでいましたし、結婚後も12時前に家に帰るというようなことはありませんでした。生死の境界を彷徨い人工呼吸器のついている患者がいる時は、ベッドの横に畳を1枚ひいて寝起きしたこともありました。まさに若さと学生時代の空手で鍛えた体力だけが勝負のそんな時代でした。そんな生活を10年続け、多少の疲れを感じたこともありましたが、それ以上に、自分の意思で医療をやってみたいという気持ちが強くなり、誘いのあった長野県の国保依田窪病院に赴任しました。

 当院に着任してから、今日まで癌医療の三本柱をテーマに掲げ、地域医療を実践してきました。最初に取り組んだのが、癌の早期発見で、昭和61年に住民検診に胃の内視鏡検査を、翌年には超音波検査を導入し成果をあげました。次が、進行癌の外科医療に対する取り組みで、進行癌をどこまで治せるのか、その限界に挑戦ということで、毎年冬1週間東京都の癌センター的存在である都立駒込病院で手術の指導をしていただき、地域の中で生かしてきました。そして、最後に取り組んだのがターミナルケアーです。

 そのきっかけとなったのは、手術も点滴も拒絶し、胃癌のため在宅で亡くなっていった84歳の老人との出会いでした。それまで、延命医療の果てに、苦しみながらいのちを終えていく末期癌の現実しか知らなかった私にとって、その老人の安らかで尊厳にみちた死は、とても感動的で、まさに目から鱗が落ちる想いでした。以来、少しでも多くの人が、そのような最期を迎えられるよう尽力してきました。当院外科では、その後の16年間で330人の方を看取り、その約半数を訪問看護の協力をえながら在宅で看取ってきました。

 私は、「往きの医療・還りの医療」という言い方をします。「往きの医療」というのは、あきらめないで頑張る医療、すなわち治す医療です。これは病院であることが不可欠です。しかし、「還りの医療」すなわち看取る医療というのは、自然の流れの中に身を任せ、もう頑張らなくてもいいのです。その場としては、病院よりも在宅の方がふさわしいと思います。家族に愛され大切にされながら安らかに人生を終えていくということは幸せな事です。

 病院で最年長の医師となった私は、最近、患者から「先生は人生終着駅の駅長さん、最期はよろしゅう頼んます。」と妙なお願いをされながら、もっぱら、在宅や診療所、併設の老健施設などでお年寄りのお相手をさせていただいています。自分のやっていることが、医療と呼べるのかどうか甚だ疑問に感じながらも、素朴さと人情をモットーに、夜間や日祭日の往診にも快く対応させていただきながら、公的医療として地域へのささやかな貢献が果たせればと思っています。そして、日本人にふさわしい死生観のもと、感謝のこころと優しさを基調にした人間らしい生き方を再考できる地域を夢みています。

リクルート

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